偉人の名言集 知性にも理論にもほもを説得する力はない

カテゴリ: 哲学者







あらゆる人間の知識のうちで最も有用でありながら、最も進んでいないものは、人間に関する知識であるように思われる。


ある土地に囲いをして、これは俺のものだというのを最初に思いつき、それを信じてしまうほど単純な人々を見つけた人こそ、政治社会の真の創立者であった。


人間を文明化し、人類を滅ぼしたのは、詩人によれば金と銀であるが、哲学者によれば鉄と小麦とである。


人間は自由なものとして生まれた。そして、至る所で鎖に繋がれている。他の人々と主人であると信じている者も、その人々以上に奴隷であることを免れていない。


いかにしてこのような変化が生じたのであろうか。私はわからない。何がそれを正当なものとしているのであろうか。私はこの問題を解くことが出来ると信じている。


いかなる角度から物事を観察しても、奴隷権は無効である。正当でないというだけでなく、不合理で何らの意味もないという理由のためでもある。


各人は全ての人に自己を譲り渡すから、特定の誰にも自己を譲り渡さないことになる。


読者は、教育論を読んでいるというよりも、一人の空想家の教育についての夢想を読んでいるような気がするだろう。

万物を創る神の手から出る時には全て善いが、人間の手に渡ると全て堕落する。

自然は決して我々を欺かない。我々自身を欺くのは常に我々である。

子供を不幸にする最も手っ取り早い方法は何か知っているだろうか。それは、いつでも何でも手に入れられるようにしてやることだ。





真に賢明にして偉大なる霊魂は、人間が第一の目的とする名誉をば、栄誉の中に置かずして徳行の中に置く


物事はそれ自体恥ずかしきものにあらざるも、一たび多数の賞賛をうるときは、何やら恥ずかしきものにならざるを得ず


もしもここに何か尊ぶべきものありとすれば、それはもろもろの行為がこれを一貫する一定の基準に従えることなり。かくの如きは自らの性格をすてて他人の性格を模倣せんと努むる者にはとうてい見出されざることなり


人はその誠実を失うならば、利巧なれば利巧なるほど、かえって人にうとまれ疑わるるものなり


一人一人のときはこれを蔑視するに、それが集合するを見れば忽ちにこれを重んずるとは、何たる不合理ぞや


なんぴともその足もとを見ず、徒らに大空のことのみ詮議するなり。


人々は規定されたる或る学説に束縛せられて、己れの認めんとは思わざる事柄さえ擁護せざるを得ぬほどなり


われは語るべし。されど、何事をも断定せざるべし。われすべてを尋ね求めん。されど最もしばしば疑い、己れ自らを信ぜざるべし


彼らはさながら暴風に吹き寄せられて岩角にしがみつくがごとく、手あたりしだいの学説にしがみつく


誠にこの宇宙の父を知ることは困難なり。よしこれを知りたりとて、これを俗人に示すは不敬なり


わたしは孤独と政務の余暇とを、書き物によって不朽の生命を得るために用いたい


彼らはその理由を示さざるも、ただその権威によって我々を承服せしむるなり


最もしばしば教えるものの権威が学ばんとするものを害することあり


彼らは他人に向って語ることは学びたれど、自己に向って語ることは学ばざりき


人は未来を知りて少しも得る所なし。そは徒らに心苦しむるのみにしてまことに不幸限りなし


愚者は、これにその欲するがままをゆるすもなお満足せざるべし。されど賢者は、現にあるものに満足し、決して自らに不満をもつことなし


カエサルが暗殺されたことは非常に有名ですが、

キケロが暗殺されたことは、全く話題にならないのね。

ブルクハルトのチチェローネ 絵画篇―イタリア美術作品享受の案内も、暇な時にでも読めばいいんじゃないかな。




世界は起こっていることの総体である


私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する


世界はどのようにあるか、ということが神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのである。


読者は梯子を登りきったあとで、その梯子を取り払ってしまわなければならない


人は語りだすことの出来ない答に対しては、人は問をも語りだすことは出来ない。
謎は存在しない。
ともあれ問が発せられる以上、その問は答えることの出来るものである。


語りえないものについては、沈黙せねばならない。


神を信じることは、生の意味に関する問いを理解することである。
神を信じることは、世界の事実によって問題が片付くのではないことを見てとることである。
神を信じることは、生が意味をもつことを見てとることである。


太陽は明日も昇るだろうというのは一つの仮説である。すなわち、われわれは太陽が昇るかどうか、知っているわけではない。




シモーヌ・ヴェイユの作品を読んでて感じるのは、

本当に繊細な方だなあと思うのね。

ドラえもんの結婚前夜は非常に有名ですな。

人の幸せを願い、人の不幸を悲しむ。

そんなのしても、不幸になるだけだと思うのですが。

・・・・・・

ほもは、存在自体不幸だから、何も問題ない。

安心して、もっと不幸にしてやるよ(使命感)

剣を持つ者は剣により滅ぶ。剣を持たぬ(または剣を手放す)者は十字架上で滅ぶ。


神は我々の中に入ってくる。神のみにそれが出来る。他の事象はことごとく外部にとどまる。


全てが失われたこの時代よりも恵まれた時代に、貴方が生まれることはとうてい望めまい。


真理の欲求は他の全ての欲求よりも神聖である。しかし一度もそう言明されたことはない。


フランスの女性の哲学者です。生前は無名で、死後評価されました。

兄は数学者のアンドレ・ヴェイユです。ブルバキの一員です。


概して、極限の美の条件は、距離によるのであれ、弱さによるのであれ、ほとんど不在であるということだ。星々は不変である。だがとても遠くにある。白い花はそこにある。だがすでにほとんど破壊されている。


だれかが、わたしに害を加えてくるとしても、その害悪のためにわたしが堕落しないようにと願い求めよう。それは、わたしを痛めつける人への愛の為であり、その人が実際にはどんな害も与えなかったということになる為である。


たった一つの例外は、本性的な愛によらずには理解できぬ理由、神がそれを欲したという理由だ。この為なら、私は一人の子供の一滴の涙どころか、悪そのものでしかない世界をすら受け入れる。


本当に光であるならば、光へのねがいが光を産むのである。


労働がいつの日が不要になるという愚かしい概念を生じさせたのは、もっぱら技術的進歩の迅速さが招いた陶酔である。


ひとは麦畑に対して、それ自体のゆえではなく、それが人間の糧であるがゆえに敬意を払わなければならない。同様に、祖国、家族、あるいは、その他なにによらず、なんらかの集団に対して敬意を払うべきだとされるのは、それ自体のゆえではなく、それがある数の人間の魂の糧であるからである。




真の預言者とは未来を見通す人ではなく、現在を読み解き、その本性を明らかにする人である。

夢が実現するとき、それが悪夢に変わりうることを、もはや我々は知っている。そして、物語の結末を知ってしまったがゆえに、先の見えない暗闇の中に置かれているということこそ、我々が直面している逆説である。

他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、つまるところ自分から逃げるための手段である。

空っぽの頭になにか詰め込むのが難しいのは、ゴミで一杯になっているためである。

幸福を追求すること。これこそが不幸になる主な原因である。

過激論者と反動主義者とは、現在を極端に嫌う。彼らは現在を変体であり、奇形であると考える。両者とも、現在に対して常に過酷であり無頓着である。そして両者とも、自己犠牲の考えを快く受け入れる。

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