偉人の名言集 知性にも理論にもほもを説得する力はない Grandes citations

カテゴリ: 日本の作家




人が性行為をしているところを、

リアルで見るってあるのかな?

見たいような、見たくないような。

・・・・・・そういえば、

子どもの頃、親が性行為をしているのを、見たな。

当時は、全く意味が分からなかったから、ノーカン。


夢は夢らしくない夢がよい。人生は夢らしくない。それがよい。

夢の色とはどう云う色か。夢では色彩を見ないと云うことが夢の特色ではないか。


明日の我々の文学は、明らかに表現の誇張へ向って進展するに相違ない。まだ時代は曾てその本望として、誇張の文学を要求したことがない。そうして、今や最も時代の要求すべきものは、誇張である。脅迫である。熱情である。嘘である。何故なら、これらは分裂を統率する最も壮大な音律であるからだ。


嘘を蹴落す存在から、もし文学が嘘を加護する守神となって現れたとき、かの大いなる酒神は世紀の祭殿に輝き出すであろう。


君の数学は独創ばかりのような感じがするが、君は零の観念をどんな風に思うんです。君の数学では。僕は零が肝心だと思うんだが、どうですか。


夢の中で数学の問題を解くというようなことは、よくあるんでしょうね。先日もクロネッカァという数学者が夢の中で考えついたという、青春の論理とかいう定理の話を聞いたが、――


僕は今まで一度も、死ぬということを恐いと思ったことはなかったんですが、どういうものだが、先日から死ぬことが恐くなって来たんです。


愛を言葉に出して表現するということは日本人には難しい。この表現の形式はむかしから内へ押し隠されて来たのが習慣だから、愛情を覚えると法がなくただもじもじとして羞らうだけだ。


人間というものは昔から進歩しているものか進歩していないものかという疑いは近代人の疑問の中心である。しかし、時間と自然とだけはわれわれにも与えられている。何事かここに現代に生きたわれわれの特権がなければならぬ。


概念的な人生観をいけないと云ふのでは決してない。出来ることなら聞きたくはないと云ふのである。何ぜなら、分つてゐるからだ。分つてゐることは聞きたくないのが山々だ。


――しかし、彼女も俺も、もうどちらもお互に与えるものは与えてしまった。今は残っているものは何物もない。


この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ


そうして、彼は伊太利を征服し、西班牙を牽制し、エジプトへ突入し、オーストリアとデンマルクとスエーデンを侵略してフランスの皇帝の位についた。


千八百四年、パリーの春は深まっていった。そうして、ロシアの大平原からは氷が溶けた。







中島敦、山月記で有名ですね。学校で皆さん学ばれたかと。

一番盛り上がってきたところで、景色の話をするのは、

世界観が一気に広がって、堪らないわ。

中島敦の東京帝国大学の卒業論文は、耽美派の研究です。

その中で、泉鏡花を称賛しています。


日本には花の名所があるように、日本の文学にも情緒の名所がある。泉鏡花氏の芸術が即ちそれだ。と誰かが言って居たのを私は覚えている。併し、今時の女学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる。又、もし、そんな人がいた所で、そういう人はきっと今更鏡花でもあるまいと言うに違いない。にもかかわらず、私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。


まことに、人間は、夢がそれから作られるような物質であるに違いない。それにしても、其の夢夢の、何と多様に、又何と、もの哀れにもおかしげなことぞ!


相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。


君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕じゃ。


雲、空、風、雪、うす碧い氷、紅藻の揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻類の光、鸚鵡貝の螺旋、紫水晶の結晶、柘榴石の紅、蛍石の青。


猿は人真似をするというのに、これはまた、なんと人真似をしない猴だろう! 真似どころか、他人から押付けられた考えは、たといそれが何千年の昔から万人に認められている考え方であっても、絶対に受付けないのだ。自分で充分に納得できないかぎりは。
因襲も世間的名声もこの男の前にはなんの権威もない。


李陵は別にありがたいとも気の毒だとも思わなかった。司馬遷とは互いに顔は知っているし挨拶をしたことはあっても、特に交を結んだというほどの間柄ではなかった。むしろ、厭に議論ばかりしてうるさいやつだくらいにしか感じていなかったのである。


想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独(しかし之から死に至る迄の長い間)を平然と笑殺して行かせるものが意地だとすれば、この意地こそは誠に凄じくも壮大なものと言はねばならぬ。


共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。


時に、残月、光冷ややかに、白露は地に滋げく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。


虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。


この人と、この人を竢つ時世とを見て泣いた時から、子路の心は決っている。濁世のあるゆる侵害からこの人を守る楯となること。精神的には導かれ守られる代りに、世俗的な煩労汚辱を一切己が身に引受けること。僭越ながらこれが自分の務だと思う。


学も才も自分は後学の諸才人に劣るかも知れぬ。しかし、いったん事ある場合真先に夫子のために生命を抛って顧みぬのは誰よりも自分だと、彼は自ら深く信じていた。


子路が今迄に会つた人間の偉さは、どれも皆その利用価値の中に在つた。これこれの役に立つから偉いといふに過ぎない。孔子の場合は全然違ふ。ただそこに孔子といふ人間が存在するといふだけで充分なのだ。


大きな疑問が一つある。子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかってもいまだに納得できないことに変りはない。それは、誰もが一向に怪しもうとしない事柄だ。邪が栄えて正が虐げられるという、ありきたりの事実についてである。







――女が入るようになると、気をつけなければならないな。運動を変にしてしまうことがあるから。

殊に、そこでは人間が機械を使うのではなくて、機械が何時でも人間をへばりつかせていた。


――僕等はもうその有名な失敗に足をふみ入れかけていたんではないかな。

――誰か思いきって、グイと先頭に立つものが居なかったら、こういうものは駄目なんだ。


――先生はふだんから、貧乏な可哀相な人は助けてやらなければならないし、人とけんかしてはいけないと云っていましたね。それだのに、どうして戦争はしてもいいんですか。


それだけ、それだけで終ってしまった

――行けば行くほど惨めになるものだ、という事を知った。


――然しこんな処が世界の何処を探がしたって、無いこと位は分りきったことだ。

そうだ、十年も経っている


俺だちの関係で入ったものは、運動の時まで独りにされる。ゴッホの有名な、皆が輪になって歩き廻わっている「囚人運動」は、泥棒か人殺連中の囚人運動で、俺だちの囚人運動は矢張りゴッホには描けなかったのだろう。


――自分は金持を憎んで、憎んで、憎んで死ぬ。……自分は生きてゐて、その金持らに、飽きる程復讐しなければ死に切れない、さう思つたこともあつた。そして、それが本當だ、と思ふ。


雪が彼の上にかすかな音をさして降っているのを感じた。が、彼はじいとしていた。


おい地獄さ行ぐんだで!

一、飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ。
一、一粒の米を大切にせよ。血と汗の賜物なり。
一、不自由と苦しさに耐えよ。


俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分った

石ころでも入れておけ!かまうもんか!





凡てが澱んだままの重苦しいそして静かな一日が続いた。過去のことが直接に未来に向って蘇っていった。


幸福というものは、何時何処から舞い込んでくるか分らない。それをうまく捉えることが肝要なのだ。

私は腕を組んでぼんやり考えた。何にも分らなかった。世界のうちに只一人でつっ立ってるような気持ちだった。


私は孤独だ。私はもう死ぬ。財産もいらない。愛情もいらない。世の中もいらない。私はもう死ぬ。


眼に見えるものを信じなされてはいけませぬ。心に見えるものを信じなされませ。


さはあれ、落葉の上を一人で歩くのは淋しく、二人で歩くのは楽しく、大勢で歩くのは喜ばしいだろう。


雨にも――雨に対しておかしな言葉だけれど――乾燥した音と濡れた音とがある。


僕の予定は、一日くらいなら立てられる。朝のうち電話ででも打合せておけば、その日中のことなら、立派に約束を守られる。けれども、明日になると、もういけない。明日の負担を負わせられることは、今日の僕にとっては、堪え難いことになる。


常人にとっては、狂人は異常であるが、狂人にとっては、常人がみな異常に見えるであろうことは、たやすく想像がつく。


某氏ある時、夜眠れぬままに、或る難解な書物を取出し、一頁と読まないうちに眠り、そののち幾夜も、同様にして、遂にその書物を二頁とは読まずに終ったが、然しその書物は、彼を眠らせ心身を休めてくれる最も貴重なものとなったという。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

田舎教師改版 (新潮文庫) [ 田山花袋 ]
価格:572円(税込、送料無料) (2020/7/23時点)





布団大好き田山花袋、

干した布団は気持ちいいからね、しょうがないね。

画の悲みも、おすすめしたいのね。


性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。


深い沈黙の中にかえって無限の期待と無限の不安とが認められる。


貧しき者は富み、乏しき者は得、病める者は癒え、弱き者は力を恢復した。


天才になればなるほど、純でそして誠実である。純であるから、いろいろなものに邪魔をされずに、又は種々な外皮に礙げられずに、真直に真に触れて行くことが出来るのである。


眼さへあれば好い。眼がつぶれたら、耳さへあれば好い。耳も聞えなくなつたら、触つてゞもライフが知りたい。


歴史ものと言へば、唯面白く、英雄を英雄とし、豪傑を豪傑として書くもののやうに誰も思つてゐるらしいが、私はさういふ風でなしに、もつと平に、ひとつの事実としてそれをその時代の空気の中に浮び上らせたいと思つてゐる。


いくら学問をしても駄目だ。いくら修養を積んでも駄目だ。また、いくら経験をしても駄目だ。立派な意見や議論を持つてゐて、内容がどんなに充実してゐても駄目だ。

このページのトップヘ