偉人の名言集 知性にも理論にもほもを説得する力はない

カテゴリ: 日本の作家






何か面白いことはないかなあとキョロキョロしていれば、それにふさわしい突飛で残酷な事件が、いくらでも現実にうまれてくる、いまはそんな時代だが、その中で自分さえ安全地帯にいて、見物の側に廻ることが出来たら、どんな痛ましい光景でも喜んで眺めようという、それがお化けの正体なんだ。


ぼくのいってるのは、世間ふつうの意味での殺人じゃない。氷沼家のおびただしい死人たちが、無意味な死をとげたと考えるよりは、まだしも血みどろな殺人で死んだと考えたほうがましだということだ。


こうやって、一日じゅう、わざと時計を逆しまにはめておくんです。見るたびにオヤと思ってね、勝手に過ぎちまう時間という奴を邪魔するみたいだし、そんな簡単なことで何かこう、異次元のワンダランドにでも入ってゆけそうな気がして面白いですよ。やってごらんなさい。


考えてくれ、今の時代で、気違い病院の鉄格子のどちらが内か外か。何が悪で、何が人間らしい善といえるのか。


作中人物の、誰でもいいけど、一人がいきなり、くるりとふり返って、ページの外の”読者”に向って”あなたが犯人だ”って指さす、そんな小説にしたいの。


ちょっと、どういうつもりなの。この小説……


虚無への供物、面白いのに、

残念ながら、殆ど知られていない作品です。

アンチ・ミステリーという作品です。

推理小説でありながら、推理小説であることを拒む。

登場人物達が、あれやこれやと推理していく。

それが全くとんでもない方向に進んでいく。


夢野久作の『ドグラ・マグラ』、

小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、

中井英夫の『虚無への供物』は、

日本の三大奇書と言われています。

上記二つは、青空文庫で読むことが出来ます。




近松は女に持てた男、西鶴は持てなかつた男

田山花袋の言葉

井原西鶴の本を久しぶりに読み直したけど、やっぱり凄いのね。

人間の喜怒哀楽を、笑いと涙を混ぜて描き斬る。


譬へば腎虚してそこの土となるべき事。たまたま。一代男に生まれての。それこそ願いの道なれと。神無月の末に。行方知れず成にけり。


よしよし、これも懺悔に身の曇り晴れて、心の月の清く、春の夜の慰み人、我は、一代女なれば、何をか隠して益なしと、胸の蓮華開けて萎むまでの身の事、たとへ、流れを立てたればとて、心は濁りぬべきや。


人間長く見れば朝を知らず、短く思へば夕べに驚く。されば、天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻といふ。時の間の煙、死すれば何ぞ、金銀、瓦石には劣れり。黄泉の用には立ち難し。


それ人間の一心、万人ともに替われる事なし。長剣させば武士、烏帽子をかづけば神主、黒衣を着すれば出家、鍬を握れば百姓、手斧つかひて職人、十露盤をきて商人をあらはせり。其家業、面々一大事をしるべし。


人の分限になる事、仕合せといふは言葉、まことは面々の智恵才覚を以てかせぎ出し、其家栄ゆる事ぞかし。


今の世に落とする人はなし。それぞれに命とおもふて、大事に懸る事ぞかし。いかないかな、万日廻向の果てたる場にも、天満祭りの明る日も、銭が壱文落ちてなし。


大かたの買物は当座ばらひにして、物まへの取りやりもやかましき事なし。正月の近づくころも、酒常住のたのしみ、この津は身過ぎの心やすき所なり。


仏のおむかひ船が来たらば、それにのるまいといふ事はいはれまじ。おろかなる人ごゝろ、ふびんやな、あさましやな。さりながら、ただ三人にきかせまして、さんだんするも益なし。

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内村鑑三に教えを受けた者として有島武郎が有名ですが、

正宗白鳥もやね。

文豪とアルケミストでは、寺島拓篤さんが演じておられます。


和歌にも俳句にも、物語にも絵画にも音曲にも、古代から今日まで、桜は讚美の限りを尽されてゐる。新たな讚美の言葉なんか残されてゐさうでない。鯛は魚の王、桜は花の王、獅子は百獣の王、人間は万物の霊長。


暦の上で何度新しき年を迎へても、心が新たになるのではない。私は、二十代の昔も七十代の今日も、根底においては、自分の考へ方は同じやうに思はれる。經驗を積み知識も豐かになつたにしても、すべて皮相な經驗、皮相な知識の積み重ねであつたのに過ぎないやうに思はれる。そして、大抵の人間が究極の所、さうではないかと私に思はれてゐる。


日本人が歐洲各國の言語を學ばんとしても不可能であり、一生言葉ばかり學んでゐるのも、言語學者以外には、愚かなことであるが、少なくも一つぐらゐの外國語は、今日の時世では、學んで置くべきだと私は確信してゐる。一つの外國語を學ぶのは一つの新しい世界を發見したことになるのである。實際に役に立つばかりでなく、一生の間計り知れない樂みが得られるのだ。


私の癖になっている年々の法隆寺行は、無意味であるが、人間が無意味なことを行うところに意味がある。

宗教心からの法隆寺行、食慾からの松阪行。意味深遠らしくて、顧みると実は何でもないのだ。


こんな文句を書いてやつたくらゐで、人間一人を慰められるのなら、雜作もないことだが、おれには親兄弟に對してこの雜作もないことさへ出來ないよ。


私は、若かった昔から、一度もこういう言葉を口にしたことはなかった。また、自分の知っている現実の誰れ彼れが、こういう言葉を口にするのを聞いて美しく快く感じたことも一度もなかった。


私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。また材料を得るために旅行をしたり讀書したりしたことはない。雜誌などに頼まれて何か書かうとして机に向つて筆を採つてから、さて材料はどれにしようかと考へるのである。


チエホフなら、あゝいふちよつとした事でも、面白い小品に纏めるのだらうなと、汚れた天井を仰ぎながら、私は旅中のある光景を思ひ出した。


素材は多い。しかし、それを藝術品に仕上げるのは六ヶしい。


……爾來五十年、人生のこと、右を見ても左を見ても、怪奇と思つて見れば、さう思はれるものばかりだ。


私には望みも樂みもないけれど、お前達に介抱されて死ねれば、極樂へ行つたも同樣に結構なことだと思つてる。


おれのためには幸福な日かも知れないが、この女のためには不幸な日かも知れない。


わしは旅行しようとも学問しようとも思わんが、自分の計画を一度は成功しても失敗しても実地にやってみにゃ寝覚めが悪い。この歳までたった一度も自分量見でやったことはないんじゃから

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石川淳?誰?能登半島に遊びに行きたい。

妻と子供を放ったらかして、借金して遊びまくる人間の屑でもないよ。(石川啄木)

もてもてのゴルファーでもないよ。(石川遼さん)

東京ヤクルトスワローズのカツオさんでもないよ。(石川雅規さん)

福岡ソフトバンクホークスのももクロ好きでもないよ。(石川柊太さん)

ちなみに、私はアイドルは全く分からない、目の前に有名なアイドルがいても、誰になりそう。

石川淳、日本の作家です。

無頼派四天王の一人。(坂口安吾、太宰治、織田作之助、石川淳)

フランスの作家のアナトール・フランス、アンドレ・ジッドに影響を受け、彼らの作品を翻訳しています。

上田秋成の『雨月物語』も翻訳しています。

森鴎外、渡辺崋山の研究もなさっています。

なお、無頼派四天王というのは、私が勝手に名付けただけなので、学校や会社で得意気に語って、嘲笑されてどうぞ。

くっくっく・・・奴は四天王の中でも最弱。

この方を既にご存知の方は、何処から入ったんだろう?

学校の教科書には、載ってないし。

森鴎外からかな?渡辺崋山からかな?

私は、イエスの勉強をしていて知った。


この敍述を書くぐらゐが精いつぱいのところなのかと冷笑するひとがゐるとしたらば、わたしはかう答へやう。わたしが何を書くにしてもまづこれを書いておかなければならなかつたので、樽の中の酒を酌み出すためには栓を拔くことからはじめるやうなものだと。


一言でいへばわたしはどこを叩いても決して反響を發しない空洞のごとくなるためにわが身に於て一切の詠歎を禁遏しやうと努め、かうしてやがては消えうせるための鍛練にかかつた。


おどろくひまさへなくわたしの腕の中に抱き緊められてしまつた。そのときのミサはちよつと瞼をそよがせたやうに見えたが、それはわたしのふれえたかぎりでは諦めとか愁ひとかいふ身内の感情をあらはしたものではなく、ただ澄みわたつた秋の大氣の中にゐて微風が眼に沁みたかのごとくであつた。


缺陥。缺陥があればどうしたといふんだ。ひとはそこから花を咲かせるほか缺陥を處理するすべはないんだ。


市場のものどもはいつたいにあまりおしやべりをしないやうだが、少年はとくに一言も口をきかなかつた。按ずるに、行爲がことばだといふわけだらう。


堪へるべき悲しみの量は際限なく流れつづける河と見え、また犯すべき罪の目方は際限なく伸びつづける鎖と見え、罪は手にふれうる悲しみと思はれた。


燃える落日のもとに、地はひろびろと暢びて、水きよく森靑く、田畑はみのり秋のけしきゆたかに、花あり、果實あり、ここに馬を飼ひ、そこに牛をはなち、木がくれに見える藁屋の、屋づくりこそ鄙びてゐたが、夕餉のけむりあたたかく立ちのぼり、鶏犬の聲もまぢかにきこえるかとおもはれた。


燃える落日のもとに、地はひろびろと暢びて、水きよく森靑く、田畑はみのり秋のけしきゆたかに、花あり、果實あり、ここに馬を飼ひ、そこに牛をはなち、木がくれに見える藁屋の、屋づくりこそ鄙びてゐたが、夕餉のけむりあたたかく立ちのぼり、鶏犬の聲もまぢかにきこえるかとおもはれた。


そもそも、おれにはどれほどの力があるのか。おれは一生に一度おれの力のかぎりをおれの目でたしかめたいとおもふ。


崋山の背中にはいつか金色の羽根が生えて來た。力を盡し、努力をつづけ、到りえた藝術に於て、人間の充實しきつた生活があつた。心理から離れて、肉體と精神と合體した瞬間である。


からだには眼に見えない繩目が懸つた。事件もおこらず、法も運用されないうちに「罪人」だけはちやんときめられてゐた。




徳田秋声、一応念の為、日本の作家です。

石川県金沢市出身。尾崎紅葉の門下生。


今はすでにその悪夢からもさめていたが、醒めたころには金も余すところ幾許もなかった。


いつも若ければいいが、年を取れば取るほど生活の伴侶は必要だよ。


若い時分には、誰しもそんな経験がありますよ。世間のほかの女が少しも目に入らないというような時代があるものです。


人の知らないところで働いて、人に見つからないところで金を溜めたいという風であった。どれだけ金を儲けて、どれだけ貯金がしてあるということを、人に気取られるのが、すでにいい心持ではなかった。


この救世軍の仕事は、社会生活の根本へ遡ることをしないで、さうした現象に対して到るところの抱へ主に個人的な私刑を課するやうなものだつた。


凡そ現代で誰れ憚からず、最も無責任な嘘をつくものが、或る種類の新聞だといふことを、日頃彼は決めてゐた。


日が庭の半面へ差しかけて来る頃、甘い眠りが襲つて来た。


誰の目にも触れたくはなかった。どこか人迹のたえたところで、思うさま泣いてみたいと思った。


どうしても私は別れます。あの男と一緒にいたのでは、私の女が立ちません

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