近松は女に持てた男、西鶴は持てなかつた男

田山花袋の言葉

井原西鶴の本を久しぶりに読み直したけど、やっぱり凄いのね。

人間の喜怒哀楽を、笑いと涙を混ぜて描き斬る。


譬へば腎虚してそこの土となるべき事。たまたま。一代男に生まれての。それこそ願いの道なれと。神無月の末に。行方知れず成にけり。


よしよし、これも懺悔に身の曇り晴れて、心の月の清く、春の夜の慰み人、我は、一代女なれば、何をか隠して益なしと、胸の蓮華開けて萎むまでの身の事、たとへ、流れを立てたればとて、心は濁りぬべきや。


人間長く見れば朝を知らず、短く思へば夕べに驚く。されば、天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻といふ。時の間の煙、死すれば何ぞ、金銀、瓦石には劣れり。黄泉の用には立ち難し。


それ人間の一心、万人ともに替われる事なし。長剣させば武士、烏帽子をかづけば神主、黒衣を着すれば出家、鍬を握れば百姓、手斧つかひて職人、十露盤をきて商人をあらはせり。其家業、面々一大事をしるべし。


人の分限になる事、仕合せといふは言葉、まことは面々の智恵才覚を以てかせぎ出し、其家栄ゆる事ぞかし。


今の世に落とする人はなし。それぞれに命とおもふて、大事に懸る事ぞかし。いかないかな、万日廻向の果てたる場にも、天満祭りの明る日も、銭が壱文落ちてなし。


大かたの買物は当座ばらひにして、物まへの取りやりもやかましき事なし。正月の近づくころも、酒常住のたのしみ、この津は身過ぎの心やすき所なり。


仏のおむかひ船が来たらば、それにのるまいといふ事はいはれまじ。おろかなる人ごゝろ、ふびんやな、あさましやな。さりながら、ただ三人にきかせまして、さんだんするも益なし。