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白鳥随筆 (講談社文芸文庫) [ 正宗 白鳥 ]
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内村鑑三に教えを受けた者として有島武郎が有名ですが、

正宗白鳥もやね。

文豪とアルケミストでは、寺島拓篤さんが演じておられます。


和歌にも俳句にも、物語にも絵画にも音曲にも、古代から今日まで、桜は讚美の限りを尽されてゐる。新たな讚美の言葉なんか残されてゐさうでない。鯛は魚の王、桜は花の王、獅子は百獣の王、人間は万物の霊長。


暦の上で何度新しき年を迎へても、心が新たになるのではない。私は、二十代の昔も七十代の今日も、根底においては、自分の考へ方は同じやうに思はれる。經驗を積み知識も豐かになつたにしても、すべて皮相な經驗、皮相な知識の積み重ねであつたのに過ぎないやうに思はれる。そして、大抵の人間が究極の所、さうではないかと私に思はれてゐる。


日本人が歐洲各國の言語を學ばんとしても不可能であり、一生言葉ばかり學んでゐるのも、言語學者以外には、愚かなことであるが、少なくも一つぐらゐの外國語は、今日の時世では、學んで置くべきだと私は確信してゐる。一つの外國語を學ぶのは一つの新しい世界を發見したことになるのである。實際に役に立つばかりでなく、一生の間計り知れない樂みが得られるのだ。


私の癖になっている年々の法隆寺行は、無意味であるが、人間が無意味なことを行うところに意味がある。

宗教心からの法隆寺行、食慾からの松阪行。意味深遠らしくて、顧みると実は何でもないのだ。


こんな文句を書いてやつたくらゐで、人間一人を慰められるのなら、雜作もないことだが、おれには親兄弟に對してこの雜作もないことさへ出來ないよ。


私は、若かった昔から、一度もこういう言葉を口にしたことはなかった。また、自分の知っている現実の誰れ彼れが、こういう言葉を口にするのを聞いて美しく快く感じたことも一度もなかった。


私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。また材料を得るために旅行をしたり讀書したりしたことはない。雜誌などに頼まれて何か書かうとして机に向つて筆を採つてから、さて材料はどれにしようかと考へるのである。


チエホフなら、あゝいふちよつとした事でも、面白い小品に纏めるのだらうなと、汚れた天井を仰ぎながら、私は旅中のある光景を思ひ出した。


素材は多い。しかし、それを藝術品に仕上げるのは六ヶしい。


……爾來五十年、人生のこと、右を見ても左を見ても、怪奇と思つて見れば、さう思はれるものばかりだ。


私には望みも樂みもないけれど、お前達に介抱されて死ねれば、極樂へ行つたも同樣に結構なことだと思つてる。


おれのためには幸福な日かも知れないが、この女のためには不幸な日かも知れない。


わしは旅行しようとも学問しようとも思わんが、自分の計画を一度は成功しても失敗しても実地にやってみにゃ寝覚めが悪い。この歳までたった一度も自分量見でやったことはないんじゃから