エミール・ヴェルハーレンは、誰なんですかね?

ベルギーの詩人兼劇作家です。

永井荷風の江戸芸術論に引用されています。


きのふの目標、あすの日は途の障礙ぞ、
 籠の戸いかに固いとも、
 思想はたえず相尅し
 とはに盡きぬはその饑渇。

變化あれよ、向上あれとは、この世の大法、
 不動の今がいかにして、
 現世の榮を引き廻はす
 大コムパスの支點となる。

過ぎし世の智慧といふもの何の益かある、
 授くるものは梭櫚の葉の
 危なげも無い勝利のみ。
 これを越えて飛べ、熱烈の夢。


人よ、攀ぢ難いあの山がいかに高いとも、
 飛躍の念さへ切せつならば、
 恐れるなかれ不可能の、
 金の駿馬をせめたてよ。

登れなほ高く、なほ遠く。たとひ賢しらに
 なんぢが心、山腹の
 泉のそばを慕ふとも、
 悦はすべて飛躍である。

途のなかばにとまる者は、やがて途に迷ふ。
 かつは苦みかつ悶え
 錯ち怒ることあつて
 燃立つ心に命がある。


人苟も飛躍せば、たえず己に超越せよ。
 われとおのれに驚けよ、
 頭果してこの熱に、
 堪へるか否かを問ふ勿れ。

不斷の慾のたえまない人の心を、
 攀ぢ難い山の上から、ましぐらに、
 未來めがけて不可能の、
 金の駿馬は推し上げる。


ほのぐらき黄金隠沼、
骨蓬の白くさけるに、
静かなる鷺の羽風は
徐に影を落しぬ。

水の面に影は漂ひ、
広ごりて、ころもに似たり。
天なるや、鳥の通路、
羽ばたきの音もたえだえ。

漁子のいと賢しらに
清らなる網をうてども、
空翔ける奇しき翼の
おとなひをゆめだにしらず。

また知らず日に夜をつぎて
溝のうち泥土の底
鬱憂の網に待つもの
久方の光に飛ぶを。


夕日の国は野も山も、その「平安」や「寂寥」の
黝の色の毛布もて掩へる如く、物寂びぬ。
万物凡て整ふり、折りめ正しく、ぬめらかに、
物の象も筋めよく、ビザンチン絵の式の如。

時雨村雨、中空を雨の矢数につんざきぬ。
見よ、一天は紺青の伽藍の廊の色にして、
今こそ時は西山に入日傾く夕まぐれ、
日の金色に烏羽玉の夜の白銀まじるらむ。

めぢの界に物も無し、唯遠長き並木路、
路に沿ひたる樫の樹は、巨人の列の佇立、
疎らに生ふる箒木や、新墾小田の末かけて、
鋤休めたる野らまでも領ずる顔の姿かな。


木立を見れば沙門等が野辺の送の営に、
夕暮がたの悲を心に痛み歩むごと、
また古の六部等が後世安楽の願かけて、
霊場詣、杖重く、番の御寺を訪ひしごと。

赤々として暮れかゝる入日の影は牡丹花の
眠れる如くうつろひて、河添馬道開けたり。
噫、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、
たとしへもなく静かなる夕の空に二列、

瑠璃の御空の金砂子、星輝ける神前に
進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らす星辰は
壇に捧ぐる御明の大燭台の心にして、
火こそみえけれ、其棹の閻浮提金ぞ隠れたる。


ほらあなめきし落窪の、
夢も曇るか、こもり沼は、
腹しめすまで浸りたる
まだら牡牛の水かひ場。

坂くだりゆく牧がむれ、
牛は練りあし、馬はだく、
時しもあれや、落日に
嘯き吼ゆる黄牛よ。

日のかぐろひの寂寞や、
色も、にほひも、日のかげも、
梢のしづく、夕栄も。

靄は刈穂のはふり衣、
夕闇とざす路遠み、
牛のうめきや、断末魔。


嗚呼、爛壊せる黄金の毒に中りし大都会、
石は叫び烟舞ひのぼり、
驕慢の円葢よ、塔よ、直立の石柱よ、
虚空は震ひ、労役のたぎち沸くを、
好むや、汝、この大畏怖を、叫喚を、
あはれ旅人、
悲みて夢うつら離りて行くか、濁世を、
つゝむ火焔の帯の停車場。

中空の山けたゝまし跳り過ぐる火輪の響。
なが胸を焦す早鐘、陰々と、とよもす音も、
この夕、都会に打ちぬ。炎上の焔、赤々、
千万の火粉の光、うちつけに面を照らし、
声黒きわめき、さけびは、妄執の心の矢声。
満身すべて涜聖の言葉に捩れ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
実に自らを矜りつゝ、将、咀ひぬる、あはれ、人の世。