私は『悪霊』の中で、この上なく純潔な心を持つ人間でさえ、身の毛のよだつような悪事へと巻き込まれていく、その多様をきわめた動機を描こうとしたのである。

フョードル・ドストエフスキーの『悪霊』は、非常に難解かつ複雑でして、

無神論、無政府主義、虚無主義、社会主義などのテーマを含んでいます。


要約すると、ショタコンは良くてもロリコンは駄目!!

1869年、ロシアでネチャーエフ事件が起こりました。

セルゲイ・ネチャーエフが、「世界革命同盟」という架空の団体のロシア代表部代表を名乗り、

「人民の裁き」という秘密結社を組織します。


その組織内部での思想権力闘争、ペトロフスキーという学生を、スパイ容疑により殺害する。


この事件に触発され、この事件をモデルに、ドストエフスキーは『悪霊』を執筆します。


アレクセイ・ニーロイチ・キリーロフ、彼は神を超える為、神を殺す為、自殺を選びます。

組織の全ての罪を背負い、自殺します。

本当に自殺することで、神を超え、神を殺すことになるのか?

そこまでして、神を超え、神を殺してどうするのか?


いやそもそも、本当に神は存在するのか?


神が存在すると仮定して、世界の全ては神が創造したと考えて、

人間のみ悪魔が創造したならどうするのか?


劇に於いて、よく言われていることですが、主役よりも悪役のほうが難しい。

ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン、美形で賢明で、非常に魅力的な悪役です。

どのようにして、このような人物を書くことができたのか?


彼は少年を凌辱します。このショタコン野郎が!!

少年は自殺する。自殺する場面を覗き見る。


人間の屑がこの野郎・・・どっちが屑なんですかね?

我々が、楽しく、屋上で後輩と日焼けしている時でさえ、

この世界には凌辱され、自殺する人間がいる。


我々は気づきもせず、そして何もしない。



自分自身が幸福になる。簡単でしょう。

家族全員が幸福になる。まあ、難しくないでしょう。


世界の全ての人間が幸福になる。何言ってんだこいつ?


フョードル・ドストエフスキーは、全ての人間が幸福にならないと、耐えられない人間でした。

全ての人間を幸福にしようとして、全ての人間を降伏にする。あーもうめちゃくちゃだよ。

少年を凌辱する場面は内容がそぐわないとされ、連載されることはありませんでした。

単行本化される際も、この部分は削除されたままでした。


約五十年後、この原稿が見つかり、追加され、出版されることとなります。


現実にドストエフスキーも、少年を凌辱したと言われています。

ヴィスコヴァトフに、俺は風呂場で少年を無茶苦茶にしてやったぜ、

と愉快に笑いながら自慢げに語りました。



まぁ、嘘だと思います。イキりたかったんでしょうね。


彼には、そんなことを出来る、度胸も勇気もありません。


やれるとすれば、ソフトSMぐらいです。


もちろん終わった後は、大丈夫?痛くなかった?オロナイン塗ろっか、と言ったことでしょう。