人間は神が創造した唯一の特別な生物である。

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誰も誰一人証明していない。無数の人間がいて。

本当にそうなのか?

もしかしたら、人間は、唯一の間違いかもしれない。


リチャード・ドーキンス、イギリスの生物学者です。

名前は聞いたことがあると思いますが、

彼の本を読まれた方は少ないかも。

彼の思想を簡単に言えば、人類は、

遺伝子のおつかいを、しているに過ぎないということです。


黄昏のオードというゲームをご存知ですかね。

黄昏のオードをプレイする奴は悪の手先。

おつかいのおつかいのおつかいのおつかい。

人類も、遺伝子のおつかいをしている可能性がある。

ひょっとしたら、悪の手先かもしれないのよ。


時計のように非常に複雑で高い機能性を持つ存在がただの偶然で生まれるわけはなく、生命はそれ以上に複雑なのだから、それは意味深遠なデザインの証拠なのだ。


ダーウィンの以前に無神論者というものがいたとすれば、その人はヒュームに従ってこう言うこともできただろう。「生物の複雑なデザインについての説明を私は持ち合わせていない。私に分かっているのは、神を持ち出してもそれをうまく説明できないということだけだ。そういうわけで我々は、誰かがよりうまい説明を携えて現れるのを待ち望むほかない」と。そういう立場は、論理的に聞こえはしても、聞く者にとても納得のいかない気分を残すものだし、無神論はダーウィン以前でも論理的には成立し得たかもしれないが、ダーウィンによってはじめて、知的な意味で首尾一貫した無神論者になることが可能になった。


宗教信仰は無害なナンセンスなどではなく、致命的に有害なナンセンスとなった。宗教は人々の持つ正義感に強固な信念を与えるために危険である。他人を殺害することへの抵抗心をなくし、殺人への誤った勇気を与えるために危険である。異なる伝統を持つ人々に敵というレッテルを張るために危険である。そして宗教は、特別に批判から守られるべきだという人々からの奇妙な賛同を得たために危険である。忌々しい敬意を払うことはもう止めるべきだ!


伝統、権威、神の啓示によってのみ支えられた信念と、証拠や論理によって支持されている信念の間には大きな隔たりがある


無神論者は誇りを持つべきだ、卑屈になる必要はない、なぜなら無神論は健全で独立した精神の証拠だからだ


深遠な宇宙や生命の数十億年にわたる進化の理解、生物の分子的な解明は、神話や疑似科学よりも遥かに美しく、驚異の世界を我々に教えてくれる