偉人の名言集 知性にも理論にもほもを説得する力はない Grandes citations






イタリアの文豪ダンテ・アリギエーリ。『神曲』で知られています。

『神曲』はルネサンスの先駆けと評される作品です。

ラテン語ではなく、トスカーナ方言で書かれています。


La Divina Commedia、イタリア語で、神聖喜劇を意味します。


『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部より成り立ちます。

分量が多く、読むのはかなりしんどいと思います。


地獄篇、煉獄篇は面白いので是非一読どうぞ。天国篇は正直つまらない。

『デビルマン』『キューティーハニー』で知られる漫画家永井豪先生が、

『神曲』の漫画を描いています。そちらも是非一読どうぞ。


憂いの国に行かんとするものはこの門を潜れ。
永劫の呵責に遭わんとするものはこの門を潜れ。
迷惑の人と伍せんとするものはこの門を潜れ。
正義は高き主を動かし、神威は、最上智は、最初愛は、我を作る。
我が前に物なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
この門を過ぎんとするものはいっさいの望を捨てよ。


夏目漱石の倫敦塔において、『神曲』が引用されています。

和辻哲郎が好んだ作品でもあります。


心も空に奪はれて物のあはれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君の傍に近づかば
心に思ひ給ふこと応へ給ひね、洩れなくと、
綾に畏こき大御神「愛」の御名もて告げまつる。


Europe has made much; great cities, great empires, encyclopaedias, creeds, bodies of opinion and practice: but it has made little of the class of Dante's Thought.

#カーライル


古くダンテがイタリア語の父であるとされ、又降ってルターがドイツ語の完成者と云われるように、ルネ・デカルトはフランス語の恩人とされている。ダンテの『神曲』、ルターの『新約聖書』の翻訳に、その意味で比較すべきものは、『方法叙説』と呼ばれているあの Discours de la Methode である(之は屈折光学と気象学と幾何学との後から書かれたものでこれ等の序説の意味をも有っている)。

#戸坂潤



オーギュスト・ロダン、フランスの彫刻家です。

地獄の門の一部が、有名な考える人ですね。

・・・・・・クソゲーのチャートでも考えているのかな?

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大デュマと小デュマ、
フランスの親子作家です。

父親はアレクサンドル・デュマ・ペール。

息子はアレクサンドル・デュマ・フィス。


父親は、三銃士、モンテ・クリスト伯で知られています。


息子は、椿姫で知られています。


王妃マルゴ、サンバルテルミの虐殺を題材にした作品です。

なかなか、日本人には、分かりづらい事件ですね。

フランスで、カトリック教徒が、プロテスタント教徒を虐殺した事件です。


1572年8月17日、カトリック教徒とプロテスタント教徒、お互いの融和を図る為、

カトリック教徒を代表するフランス王シャルル九世の妹マルグリットと

プロテスタント教徒を代表するナバラ王のアンリが、結婚を計画しました。

その結婚式で事件があり、もつれにもつれて、

血が血を呼び、復讐が復讐を呼び、

何万人ものプロテスタント教徒が虐殺されました。


仮面の男、
フランス王ルイ14世、彼に兄弟がいたという伝説は有名かと。

実際には、どうだったのかは、謎のままです。

その伝説を、題材にした作品です。


レオナルド・ディカプリオの一人二役で、映画化されました。


Nothing succeeds like success.


There is neither happiness nor misery in the world; there is only the comparison of one state with another, nothing more


All for one, one for all, that is our motto.

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日本の物理学者です。長岡半太郎、アルベルト・アインシュタインに学ぶ。


アルベルト・アインシュタイン来日時は、通訳を務めました。

歌人でもありまして、アララギ派の伊藤左千夫に学ぶ。

女性関係で、アララギ派を脱会するという、のんけの鑑。


難解な出来事を簡単にする。

簡単そうに見えて、とてつもなく難しい。

難解な出来事を難解にする、自ら頭がいいと思っている馬鹿が、どれほど多いことだろうか。


自然をふかく研究して、そのなかから新しい法則を見つけ出すということは、人間にとっての最も大きなよろこびであり、之によって自然の限りなく巧妙なはたらきを味わい知るということは、わたしたちの心を何よりもけだかく、美しくすることのできる真実の道でもあります。昔から偉大な科学者たちは世のなかの一切の栄誉などにかかわることなく、ひたすらに自然のなかにつき入ってその秘密をさぐることに熱中しました。そこにはいろいろな苦心が重ねられたのでありましたが、それでも世界のなかで誰も知らない事がらを、自分だけがつきとめたというすばらしい喜びは、それまでの並々ならぬ困難をつぐなって余りあるものに違いなかったのでした。そして、このようにして科学は時代とともに絶えず進んで来たのでしたが、それが今日どれほど多く世のなかの人の役に立っているかは、誰も知っている通りであります。この事をよく考えて見るならば、わたしたちがふだんの生活において科学を利用して非常な便利を得ているにつけても、今までの科学者たちの多大の苦心に対して心からの感謝をささげないではすまないのでありましょう。


しかも科学の上での真理は永遠に消え失せることもなく、人間の社会が進めば進むほど、ますますそのなかにすばらしい輝きを増してくるようになるのです。


科学の実験というものは、少しやり出すと、それからそれへとおもしろくなるもので、またいろいろな知識を得て、新しいことをして見たくもなるのです。それでその頃誰でも聴きにゆかれるような講義のあるのを探し出しては、それを聴きにゆきました。そして気の合った友だちが見つかると、互いに励まし合いながら実験を一緒に行ったりしていました。



一人の偉い学者が出ると、それに続いてまた次にその仕事を進める人々が現れて来るもので、このラヴォアジエに次いでは、フランスにベルトレー、ゲイ・リュサック、イギリスにドルトン、イタリヤにアヴォガドロなどというすぐれた学者が出て来て、そのおかげで十九世紀の初頭には物化学の目ざましい進歩が実現するようになったのでした。


学問の上の仕事は、それが正しければ、立派に残っていて、いつかは見つけ出されて、その偉大な栄誉をになうことのできるものであるということが、この一事によってもみごとに証拠立てられるのです。


科学の上ですぐれた仕事を成し遂げることは容易ではありません。それでも熱情をこめて励みさえすれば、ある程度には到達することができるのです。






流るゝ川に言葉あり、
燃ゆる焔に思想あり、
空行く雲に啓示あり、
夜半の嵐に諫誡あり、
人の心に希望あり。


詩人よ君を譬ふれば
光すゞしき夕月か
身を天上にとめ置きて
影を下界の塵に寄す。


さればうき世の雲は晴れ
つるぎは銷けて、天日の
光と照らんあさぼらけ
人の心に恨なく
邦の間に怒なく
我世の上にあらびなく。――



星宵の空に聲もなく
よさしは今と佇ずめる
「暗」と「眠」の影ふたつ
あまねき惠み人の世に
たるゝいましのなつかしや。


別れの袖にふりかゝる
清き涙も乾くらむ
血汐も湧ける喜の
戀もいつしかさめやせむ
物皆移り物替る
わが塵の世の夕まぐれ
仰げば高き大空に
無言の光星ひとつ。


神よ問はなむぬばたまの
「夜」のもすそに包まれて
咽ぶ涙は幾何ぞ
靜けき夢は幾何ぞ


東の空を昇り來る
星また星に聲も無し
西の空行き沈み行く
星また星に思あり。


祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか。


恨みなはてぞ世の運命、
無限の未來後にひき
無限の過去を前に見て
我いまこゝに惑あり
はたいまこゝに望あり、
笑、たのしみ、うきなやみ
暗と光と織りなして
歌ふ浮世の一ふしも
いざ響かせむ暮の鐘、
先だつ魂に、來ん魂に
かくて思をかはしつゝ
流一筋大川の
泉と海とつなぐごと。


土井晩翠、日本人なら誰でも知っている日本の詩人です。


荒城の月は、何処かで聴いたことがあるかと。

土井半助、土井善晴さん、土井晩翠の三大DOI。

それDOIじゃなくて、ジョジョの奇妙な冒険のDIOじゃないですか!


天地有情は、後半に諸葛孔明の歌もあります。

土井晩翠は、多数の校歌も作っています。

ホメーロスの『イーリアス』の翻訳も手掛けています。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001099/card46996.html






江戸時代の曹洞宗の僧侶。子供達の目線で、共に遊んだ。また和歌や書も有名です。

懸命に戦い完敗し、恥を知り滑稽だけども滑稽がゆえに、力強い戦法を学んだ。

努力している者が、遊んでいる者に勝てるわけがない。

『ごん狐』で知られる新美南吉が、彼を題材に執筆しています。『良寛物語 手毬と鉢の子』

ある程度分量がありますが、非常に読みやすいので、良かったらよんでどうぞ。


形見として何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみぢ葉

川端康成の『美しい日本の私―その序説』において、引用されています。


命あらばまたの春べにたづね来ん
山の櫻をながめがてらに


この宮の森の木下に子供らと
手まりつきつつ暮しぬるかな


この里に手まりつきつつ子供らと
遊ぶ春日は暮れずともよし


ひさがたの空よりわたる春の日は
いかにのどかけきものにぞありける


ひさがたの雨の晴れ間に出でて見れば
青み渡りぬ四方の山々


深見草今を盛りに咲きにけり
手折るも惜しし手折らぬも惜し


歌もよまん手毬もつかん野にも出でん
心一つを定めかねつも


思ふまじ思ふまじとは思へども
思ひ出しては袖しぼるなり


ひさがたの月の光の清ければ
照しぬきけり唐も大和も


月よみの光をまちてかへりませ
君が家路は遠からなくに


散りぬらば惜しくもあるか萩の花
今宵の月にかざして行かん


夢ならばさめても見まし萩の花
今日の一日は散らずやあらなん


晴るるかと思へばくもる秋の空
うき世の人の心知れとや


もみぢ葉のさきを争ふ世の中に
何をうしとて袖ぬらすらん


心なきものにおあるか白雪は
君が来る日に降るべきものか


白雪の日毎に降れば我が宿は
たづぬる人のあとさへぞなき

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